夢十夜

2005年10月8日 読書
自分には不治の病が二つある。
一つは酒乱でありもう一つは不眠である。

不眠といっても中々眠れないというものではなく、必ず夢を見て朝起きるとぐったりと疲れているというタイプの不眠だ。

自分にとって夢というのは楽しいというより、なんかぞっとするものである。自分の見慣れた生活に突然、ふだん全く思い出さないような人が現れたり、とんでもない失敗をしでかしたりするのである。昨夜は教育実習中にとんでもないミスをやらかす、という夢だった。

この本を読むと漱石氏もひょっとしたら不眠かしら、ということで自分の不眠に納得することが出来るのである。女、死、歩く、など我が夢の常連さんが顔を揃える。偶然だと思うが漱石氏が留学していた頃からイギリスも不眠という言葉が使われ出したらしい。

今夜はどんな夢十一夜でしょうか・・・。
語学学校の集中講義のためお勉強の日々。

あらためて思うのだが語学というのはやればやった時間だけ伸びる科目である。夏休みだけで50時間も学校に通えば、耳も慣れてくるものである。

お勉強ばかりの日々ではあるが、人はなぜ勉強するのだろうか?
そんなものは考えるだけナンセンスなわけで当然、生きていくために必要だから勉強するのである。もっと広く言えば生きていることそのものが勉強していることであるのだ。

読書というものは自分にとって100%娯楽でありお勉強しているという感じがしない。
しかしこの本だけは唯一お勉強したな、と思えた1冊である。

マックス・ウェーヴァーの、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の解説書なのだが、これほど分かりやすく解説してくれればお勉強したくもなる。

勉強するとはなんぞや、という素朴な疑問に答えてくれる1冊である。
銛打ちのようになるべく体を鍛える。
不思議とジム通いがいまだに続いている、無理なくやっているのが良いのか。

本日、プールの中にガラス片が入ったとやらで、無料に。さらに無料のチケットをもう1枚。物騒な話なので得したのどうなのか・・。

実際はイシュメールのような軟弱な自分です。
しかしこの作品の面白さはイシュメールでもエイハブでもなく執拗なまでの鯨へのこだわりか。
海洋冒険小説と思って読むと痛い目にあうこと間違いなし。
世の中は情報に満ちている、百科事典小説のはしりである。
ミステリーというものをほとんど読まない。
唯一、気に入ってるのが高村薫。

ハードボイルドものといった感じで、とにかく主人公の合田刑事が好きなのだ。

通勤電車がしばし楽しみになった1冊。

■なぜか彼女の母君にご挨拶。
失業中の方が話は進むというか・・、さてどうなるのでしょう・・。

車輪の下

2005年7月31日 読書
学習塾で国語を教えるのはとても難しい。

僕は昔から国語の成績だけは良かった。
ずっと成績が悪かった英語はなんとなくつまずくポイントが分かるので教えるポイントもなんとなく分かる。

中学の時にヘルマン・ヘッセの車輪の下で読書感想文を書いたことを今でも覚えている。
学習塾に通う受験生たちはこの本を読んでどう感じるのだろう。

冷めた子どもにとってはそうとう甘口に感じるのかな。

遊んでばかりいた自分にはなかった少年時代は少し羨ましさも不思議なことにあるのだ。
母校にて池澤夏樹さんの講演を聞く。

テーマは思想を表現するための日本語。池澤氏曰く、日本語には大きく分類すると2つの種類がある。一つは明治以降に作られた外来語であり、もう一つは古来からのやまと言葉とのこと。思想を語るのは前者を使うとのこと。私も基本的にはこの考えに賛成である。大学などのレポートや論文には前者を多用する、例えば構造化とかアイデンティティとか実存主義とか。しかしそうすることにより本来の伝えたいことがぼやけてしまい、なんかよくわからんが、良いレポートな気がするモノが生み出されている気がする。日本語のもつ永遠のジレンマかも。

この作品は作家が小説をどう読むか、という興味深いものです。私としてはトーマス・マンが参考になった。

宮殿泥棒

2005年6月23日 読書
最近、ジムに行ったり、たくさん本を読んだりと学生の鏡のような生活をしている。

そんなことを考えていたら、この小説が思いうかびました。
作者のイーサン・ケイニンは名門アイオワ大学(たぶん)文学部卒業後ハーヴァードの医学部の大学院に在籍中の27才時に小説家デビューしたマジメなユダヤ系の秀才。

アメリカ文学においては秀才は好まれない。
ハックルベリー・フィン、ホールデン・コールフィールド、エイハブ船長にしろ、基本的には悪童(エイハブは悪爺か)である。

そんな中でマジメな人を主人公にマジメな小説を書くのがこの人。マジメに生きるのも悪くないなあと思える作家です。
マジメに生きてきた人の前に不真面目な男が現れて、主人公が人生の選択をする必要に迫られるというパターンが多い。

表題作の宮殿泥棒はキマジメな教師ととんでもない悪童のお話なのですが、もし自分が教員になんてなったら、こんなことになりそうだなあというお話。

■100語でスタート英会話というNHK教育の番組をたまに観る。なぜかBGMはダフト・パンク。今日はブラック・アイド・ピーズのおまけつき。NHK教育、良い感じです。

■昼食を食べながらTVショッピングをなんとなくつけていてびっくり。商品はなぜかシルクのトランクス。柄は和風のテイストの浮世絵です・・・、て誰が買うんでしょう・・。
最近ジムに通いはじめた。
徒歩5分に区営のジムがあり、何度も通ってみようと思いながら根性なしの私は3日坊主。

今回はとりあえず2回は行った。
どこまで続くことでしょうか。

ジムと言って思いうかんだのがなぜかこの小説。
村上春樹の中では一番好きな小説です。

中学生の主人公がとにかく鍛える、鍛える。
とにかく本読む、本読む。
ある意味、学生の鏡。

ムーン・パレス

2005年6月18日 読書
とんでもないところで昔の知り合いと再会。
私はこの手の話が本当に多い。

会社の同期に小学校の同級生がいたり、大学に入りなおしたら職場の人の友人がいたりする。

こんな偶然の出会いと言えば、英米文学で言えばデヴィッド・コッパーフィールドかポール・オースターかというところでしょう。

とても良いお話です、英語も簡単。

あらすじ

人類がはじめて月を歩いた春だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた…。深い余韻が胸に残る絶品の青春小説。

ポーの一族 (1)

2005年6月16日 読書
萩尾望都のちょっとすごい漫画。
主人公がエドガーとアラン、タイトルがポーの一族。
アメリカの作家エドガー・アラン・ポーということです。

エドガー・アラン・ポーを彼女が解釈するとこんな漫画になったということです。内容はとてもグロテスクなのですが、そこは少女漫画、素直に読めます。

ポーはちょっととんでもない作家であるため、それをタイトルにした漫画があるというだけでも驚き。

推理小説の祖と言われる「モルグ街の殺人」では犯人は誰だという懸賞つきクイズをだして雑誌の部数を伸ばして、最終的に犯人は人間じゃなかったという強力なオチをつけ正解0。おそらく苦情が殺到したことでしょう。

ビラヴド

2005年6月13日 読書
現在アメリカ最良の黒人作家トニ・モリスンの代表作を日本語訳で読む。正直、私はこの作家がとても苦手である。あまりにも書かれていることが重すぎて感動を超えてぞっとしてしまうから。南北戦争の頃の黒人奴隷を描くこの作品もやはりそう。途中からは小説を解釈するということを放棄して、ただページをめくるしかない。ビラヴド(愛されし者)というタイトルの通りにこの時代に死んでいった無数の黒人奴隷の人々への鎮魂歌というべき作品です。

■先週末は学生時代の友人と痛飲。4件ハシゴはさすがにきつい歳になってきた。みんなストレスがあるみたい・・
教育実習でなぜか使ったのが佐々木マキさんの絵本。

基本的にはプリントは手書きで書いて余白には佐々木マキさんのイラストを参考にしてイラストを書いた。

それがなぜか生徒に好評でした。
いつの日か、あれは佐々木マキさんだったのかという生徒も出て来ることでしょう。

ドラエモンとかだとこどもっぽすぎる気がして・・。
ていうか私が彼女の絵の大ファンというだけです。

ソラリス

2005年4月24日 読書
惑星ソラリスを探査中のステーションで異変が発生した。
謎の解明のために送りこまれた心理学者ケルヴィンの目の前に自殺したハリーが姿を現し、彼はやがて悪夢のような現実と甘やかな追憶とに翻弄されていく。

レムのSFの古典のポーランド語原書からの新訳。
宇宙における未知なるものとの遭遇という古典的テーマを扱っているが、その未知なるもの『海』がディティールまで細かく描写されていて存在感が圧倒的である。
その中に自分とは何か?のような哲学的な要素まで取り込んだ非常に懐の深い作品である。

SFとしての完成度は非常に高い。
柴田元幸氏監訳のブックガイド。

とにかく現代の英語小説を読むには必須のガイドです。
とにかく今までにたくさん出ていたガイドとは違い、まず堅苦しくない。文学や小説を楽しもうという姿勢に満ちているため、とても楽しく読めるし、書き手の作家に対する愛情がとても満ちあふれるのを感じるのである。

私の好きな批評を一つ。
まるで多弾頭ミサイルの弾道のように、トマス・ピンチョンの評価を示す曲線は、いくつにも枝分かれした軌跡をたどっている。

お見事という感じである。

とにかく便利な1冊であることは間違いない。
不思議の国のアリスを読む。

以前テレビでやってたアニメを見ていたのですが、読んでみるとこれ程ナンセンスで面白いとは思わなかった。

例えばねずみのお話(tale)が尻尾(tail)の話となるという同音異義語のお遊び(柳瀬氏はねずみの尾話と翻訳、お見事)

他にも、最初の日は十時間のレッスン(lesson)が翌日には九時間、翌々日には八時間とレッスンを減る(lesson)とかけたものなどが前編通じて繰り出される。

登場人物も今考えると錯綜したようなものが多く、特にすぐ人を打首にしたがる女王など。もはや子どもの読み物を超えています。大人でも十分に楽しめるってことです。

今度は鏡の国を読んでみよう。
オーパス・ワン
シャトー・マルゴー
ラ・ターシュ
ロス・ヴァスコス
チェレット・バローロ
シャトー・ディケム
モンラッシェ
ロバートヴァイル醸造所 トロッケンベーレンアウスレーゼ

といったワインをテーマにした短編。

先週、ワイン会をして高いワインを飲んだ。
クロ サン ドニ(デュジャック)を飲み、この短編の言いたいことが少し分かった。確かに官能的な味がするワインというものがあるのね。

ワイン会は大盛況で終了。
高山宏と富山太佳夫はイギリス文学の考え方を180度変えてくれる偉人である。この作品は19世紀末の英国文化を知る上での最良のもの。その情報量は圧倒的であり、縦横無尽に語りつくすというスタイルにも圧倒される。名著です。
高山宏ワールド満載の1冊。英文学講義となっているが実質はイギリス文化講義という方が近いかも。とにかくすごい情報量がつまっていて常人では頭がパンクするかも、また説得力があるんだかないんだか分からないがとにかく読ませてしまうのがこの人のすごいところ。18世紀前半のイギリスを理解するためには、まずコーヒーハウスを理解しなくてはいけない、ヨーロッパ18世紀文化を理解する根本は造園術だといってもいい、等の高山節が随所に見られる。ポープ、ドライデン等についての記述もかなり面白い。本当か冗談か分からないが視覚文化論のエッセンスとしてエロ本を月に10冊購入している日本唯一の大学教授でしょう。
私のハンドルネームを取ったカポーティの短編集。

「ミリアム」は入ってませんが、「誕生日の子どもたち」もとても素敵な作品です。それにしてもカポーティは本当に文章が上手。ということで翻訳する方はたいへんだな〜と思いますがこれは本職。カポーティなんかは学者よりも作家がやる方が良いかもね。誕生日の子どもたちのように楽しそうだった、なんて本当にうまいと思いますよね。
テスト勉強ばっかりの日々。

そういう時にはこういう、現実離れしていて易しい英語の本を読むことにしている。

ゲド様もついに偉い人になってしまった。
それにしてもどんどん酷い目に会う頻度が多くなっている気がして、読んでて可哀想になることしばしば。
次作ではちょっとは良い目に会うことを望みます。

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